【執筆した弁護士】
古賀 象二郎(こが・しょうじろう)弁護士
1974年,佐賀県鳥栖市生まれ。一橋大学経済学部を卒業後,民間企業に勤務。神戸大学法科大学院を経て,2009年に弁護士登録。
事務所名:古賀象二郎法律事務所(福岡市中央区) URL:事務所HP
日本弁護士連合会会員・福岡県弁護士会会員 URL:会員情報
★未払残業代請求の基礎知識についてはこちらをご覧ください。
<本日の内容>
1 基本給組込みタイプの「判別」要件・「割増賃金」要件の要否
2 判例・裁判例ーモルガン・スタンレー・ジャパン(超過勤務手当)事件
1 基本給組込みタイプの「判別」要件・「割増賃金」要件の要否
基本給組込みタイプに関連する事例として,モルガン・スタンレー・ジャパン(超過勤務手当)事件(東京地判平成17・10・19労判905号5頁)を以下のブログで紹介しました。
ここでは,モルガン・スタンレー・ジャパン(超過勤務手当)事件について,事案を含めてさらに検討します。
まず,基本的な知識の再確認からですが,労働基準法が定める割増賃金の算出方法によらず,定額残業代などとして割増賃金を定額支給としている会社には,基本給などの総賃金のなかに割増賃金部分を組み込んで支給しているタイプ(基本給組込みタイプ)と,基本給とは別に営業手当,役職手当など割増賃金に代わる手当等を定額で支給するタイプ(別枠手当タイプ)があるとされます(水町勇一郎『詳解労働法』(東京大学出版会,2019年)684頁)。
このうちの基本給組込みタイプでは,支払方法が労働基準法37条に適合するかどうかにつき,①通常の労働時間の賃金に相当する部分と割増賃金にあたる部分とを判別することができ(「判別」要件),かつ,②割増賃金にあたる部分が法定計算額以上でなければ(「割増賃金額」要件),このような支払方法をとることができないと考えられています(水町・前掲684頁)。
2 判例・裁判例ーモルガン・スタンレー・ジャパン(超過勤務手当)事件
しかしながら,給与が労働時間ではなく営業利益や役割によって決まり,その金額も高額で,使用者による勤務時間の管理も行われていないなどといった事情があるときに,上記①②の要件を検討することなく,基本給に時間外労働に対する対価が含まれている旨の合意を有効とすることができるか。この点について判断したのが,モルガン・スタンレー・ジャパン(超過勤務手当)事件です。
この事件で,労働者より未払残業代を請求されたのは,国際的な総合金融サービスグループの日本拠点にあたる外資系証券会社です。
モルガン・スタンレー・ジャパンの社員は,業務の専門家として自己の判断に基づいて業務を進めることが予定されているプロフェッショナル社員と他の社員の補助的な業務に就く一般社員で構成され,プロフェッショナル社員はオフィサーとノン・オフィサー(オフィサーの方が地位が高い),さらにオフィサーは上位から順に,マネージング・ディレクター,エグゼクティブ・ディレクター,ヴァイスプレジデントに分類されていました。この事例でモルガン・スタンレー・ジャパンに未払残業代を請求した労働者は,時間外労働を行ったとする時点でエグゼクティブ・ディレクターの地位にありました。
モルガン・スタンレー・ジャパンの就業規則には,社員の通常の勤務時間は平日の午前9時より午後5時30分までなどとする規定があり,一般社員は厳格な労働時間管理が行われていました。しかし,プロフェッショナル社員は,モルガン・スタンレー・ジャパンから労働時間の管理を一切受けていませんでした。
また賃金については,モルガン・スタンレー・ジャパンの就業規則では一般社員には基本給,超過勤務手当,食事手当,通勤手当が支給されていた一方で,プロフェッショナル社員には年間基本給,会社・部署・個人の業績に基づく裁量業績賞与が支給されるだけで,超過勤務手当についての規定はなく,超過勤務手当の名目での支払いがされたこともありませんでした。未払残業代を請求した労働者の年間基本給は,平成14年から平成16年にかけては2200万円ほどであったとされています。
未払残業代を請求した労働者が所属していたモルガン・スタンレー・ジャパン東京支店の外国為替本部では,平日,午前7時30分ころから本部長のもとに集まりミーティングが開かれていました。未払残業代を請求した労働者は,ミーティングに加わるために平成14年11月から平成16年4月までの平日の午前7時20分から午前9時までの間,時間外労働を行ったと主張しています。
判決において争点として整理されたのは,①超過勤務をしたか,②管理監督者か,③超過勤務手当を支払っているか,④超過勤務手当の請求は権利濫用ないし信義則違反かの4点です。
そして,判決は争点③について,年間基本給の中に時間外労働の対価が含まれていて,未払残業代を請求した労働者は毎月基本給の支給を受け,異議なく受領したことで,当該月の時間外労働に対する手当の支給を受けて弁済がされたとして,労働者の請求を認めませんでした。
年間基本給の中に時間外労働の対価が含まれていることにつき,「判別」要件や「割増賃金額」要件が具備されていないという点については,①給与は労働時間数によって決まっているのではなく,モルガン・スタンレー・ジャパンにどのような営業利益をもたらし,どのような役割を果たしたのかによって決められていること,②労働時間管理がなされていなかったこと,③未払残業代請求した労働者が超過勤務手当の名目で金員を支給されるものとは考えていなかったこと,④高額の報酬を受けており,未払残業代を請求した労働者が主張する1日70分間の超過勤務手当を基本給に含めて支払う合意をしたからといって労働者の保護に欠ける点はないことから, 年間基本給の中に時間外労働の対価が区別されることなく含まれていても,労働基準法37条の制度趣旨に反すことにはならないとしています。
ただ,年俸1700万円の中に時間外労働等の割増賃金を含むとの合意があった勤務医の事件で,最高裁は,労働基準法37条には使用者に割増賃金を支払わせることによって時間外労働等を抑制しようとする趣旨が含まれているとして,通常の労働時間相当部分と割増賃金部分が判別できない年俸の支払いによって同条の割増賃金が支払われたということはできないと判断していますので(医療法人社団康心会事件(最二小判平成29・7・7労判1168号49頁))(水町・前掲686,687頁),モルガン・スタンレー・ジャパン(超過勤務手当)事件の判決の評価は,基本給組込みタイプの判断という観点では慎重にならざるを得ません。
しかし一方で,このモルガン・スタンレー・ジャパン(超過勤務手当)事件が,労働時間の管理の在り方や長時間労働などの当時の課題を改めて明らかにしたことは否定されず,その点で,2018(平成30)年の働き方改革関連法により導入された,高度プロフェッショナル制(労働基準法41条の2)の成立の経緯の中で言及されることがあります(菅野和夫『労働法(第12版)』(弘文堂,2019年)552頁)。
更新日 2020年8月25日
福岡市中央区 古賀象二郎法律事務所
弁護士 古賀象二郎
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